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2019/07/29

はたらくおとなたち− 第十一回 Double Volante 國吉遊さん−

みなさん、こんにちは!『はたらくおとなたち』では、社会人としてはたらくみなさんに伺った、ご自身の仕事やそのやりがい、将来どんな人になりたいかといったお話を、読者のみなさんにお伝えしていきます。

インタビュー後、お相手の方に社会人としてはたらくご友人の方を紹介していただきながら、わたしたちは多様なはたらき方を知る旅をしていきます。第十一回目は、Double Volanteの國吉遊さんです。

 

プロフィール:

國吉 遊
Double Volante
興南高校を卒業後、両親に促されアメリカに滞在。そこでジーンズの面白さを知る。沖縄に戻り、短大で出会ったジーンズメーカーを経営する社長の工場で10年働いたあと、2009年に独立。現在は沖縄市でDouble Volanteというデニム工房を立ち上げ、ジーンズを縫い続けている。

 

國吉さん、初めまして!まずお聞きしたいのですが、ジーンズを作る人生はどのように始まったのですか?

そんな大げさなことではないですけどね(笑)。最初にジーンズを面白いと思ったのは、アメリカで生活しているときでした。僕が住んでたときのアメリカはとても物価が安くて、Tシャツが1枚1ドルで買えるような時代だったんですよ。高校生の頃から古着が好きで、アメリカでもよく古着屋さんを巡って服を買ってました。

ジーンズに興味をもったのはその頃で、商品としての価値の高さに面白さを感じたんです。当時、ジーンズは1着10ドルから80ドルくらいするもので、100ドルのお小遣いの中だとあまり気軽に買えるものではありませんでした。ただ、そういうジーンズは、当時の東京だと10万円で売ってるような品物だったんですよ。そんな値段のものを自分たちは80ドルで履けてるのすげー!って思って、ハマりました。それから沖縄に帰るたびに、買った古着を北谷で売ってたんですが、Tシャツも靴もジーパンも良い値段で売れたんです。その経験から、どこで売るかで価値が上がる古着というものの特性が面白いなと思いました。沖縄に帰る予定の直前はTシャツ300枚とか靴100足とか持っておくようになって、親に「業者か」と言われるくらいにはのめり込んでました(笑)。

今でこそジーンズを縫う仕事をしてますが、アメリカ生活を終えた頃には古着屋をやりたいと思っていたんです。でもゆくゆく自分で古着屋をやっていくなら、ジーンズを1本まるまる縫えるくらいの技術は持っておきたいなと考えてました。古着屋は沖縄で開くつもりだったし、当時の沖縄にはジーンズを縫える人も会社もいなかったので、もし古着屋が上手くいかなくても、ジーンズを縫えればご飯を食べていけるくらいには稼げるだろうと思ったんですよ。

 

それからジーンズとともにある人生を始められたわけですね。どうやってジーンズを縫う技術を身につけられたんですか?

アメリカから帰ってきて大学に通い始めるのですが、そのとき、岡山でデニム工房を経営している社長さんに出会ったんです。卒業後にその社長と東京で2年暮らしたあと、工場志願して働き始めました。

ジーンズを縫う仕事と聞くと華やかなものに思えるかもしれないですが、実際は広い建物にたくさんの仕切りがあって、自分の担当する工程をただひたすら縫い続けるだけの場所です。だからこそ、そこで働く人たちはまさに職人さんという感じで。基本的な仕事は教えてくれますが、それ以上に上手くなるには他の人の縫い方を勝手に真似るしかない環境でした。真似るといっても、作業場は個々の空間で仕切られているので、ミシンの音を聞いて、どんな風に縫っているのか真似していました。

「〇〇さんのあの音はどうすれば出せるんだろう」と考えてやってみて、分からなかったらトイレに行くふりをして手元をのぞいて、自分でやってみる。それを繰り返していくうちに、ミシンの使い方が上達してきました。1日の仕事が終わると2時間くらい自分のジーンズを縫える時間があったので、そこでその日聞いて覚えたミシンの音を再現することをずっとやっていました。

仕事を覚えてくるにつれ、つらくなった時期もありました。それまでは新しく覚えることだらけで楽しかったのですが、実際は朝から晩までひたすら同じ工程の単純作業を繰り返すだけなので、ジーンズを作れるようになりたいと言って入ってきた、特に若い人たちはやめていきましたね。僕自身、営業の仕事なら雑誌に出るような有名な人と話ができるのに、自分はひたすら同じことを繰り返しているだけ‥‥と、劣等感に苛まれることも多々ありました。その時期は、なかなかつらかったです。

そんな日々が6,7年続くと、ジーンズを見ただけで縫い目の大きさがミリ単位でわかるようになってきました。ジーンズの裾やポケットなどの縫い目をステッチと言うのですが、ジーンズを見て、ステッチを見ると例えば縫い糸を2mm太くしたほうがかっこいいとか、糸を黄色に変えて5mm幅でステッチを入れた方がこのジーンズに合うなというのがわかってきたんです。

それから、仕事がまた楽しくなってきて。本当はいけないんですけど、メーカーからの仕様書の内容を自分でアレンジして縫ったりしていました。そのことでよく怒られてましたけど(笑)。でも、ステッチの入れ方でジーンズのツラを変えられるのは、自分しかいなかったんです。これは働く中で得た、大きな強みだと思いました。

 

その後、古着屋を始められなかったのはなぜですか?

10年工場に勤めて沖縄に帰ったとき、古着は業界的に下火だったんですよ。自分がアメリカにいた頃より古着というものの価値が下がっていて。それよりは沖縄でジーンズを縫う仕事をした方が稼げるんじゃないかと考えて、今の仕事を始めました。

 

10年ほどダブルボランチでジーンズを縫われてきて、思い出深かった仕事はありますか?

高城剛って知ってます?ハイパーメディアクリエイターっていう肩書きで活躍していた人がいるんですけど。よくテレビにも出てた人で、あるときテレビを見てたら高城さんがバルセロナにいる様子が映ってたんです。そしたら電話がかかってきて、「高城と言います。バルセロナにジーンズを送ってもらうことってできますか?」って言ったんですね。なんか最近よく聞くワードだなと思ったら本人で、海外発送はできなかったので横浜の事務所の方には送れますよと言ってその日は終わりました。

それからしばらくすると実際に本人が来店されたんです。ジーンズを作って送ると、すごく喜んでいただけて。高城さんのメールマガジンや自身のブログで紹介してくださって、それをきっかけに、お客さんがめちゃくちゃ増えたんです。ご本人もそれからまた依頼してくださって、あれから数年経っても未だに「高城さんのメルマガを見て来た」というお客さんがいらっしゃったりするので、すごくありがたいと同時に、思い出深い出来事ですね。 

あとはTHE BOOMの宮沢和史さんに来ていただけたのも嬉しかったです。彼が島唄を出した当時、沖縄は日本だけどけっこう格下というか。本土の人に対等に見てもらえない劣等感みたいなものがあったんです。そんな中「内地の人間が三線なんか弾けるか!沖縄のことを何も知らんくせに沖縄の曲を作るな!」と批判されながらも、島唄を出して沖縄ブームに火をつけてくれたのが宮沢さんだったんです。島唄が大ヒットしてから、沖縄の人としてのアイデンティティが認められた気がして嬉しくて、そんな人にジーンズを作れたのは嬉しかったですね。

 

ジーンズを作る仕事のやりがいは何ですか?

一番はやっぱり、自分の力量次第で作ったものが認められるかどうかがわかりやすく見えることですかね。今はメーカーさん向けと個人のお客さん向けで作っていて、メーカーさんだと例えばルイスレザーズというところにジーンズを置かせていただいてます。

ルイスレザーズは世界最古のモーターサイクルのジャケットメーカーで、スティーブンマックイーンとか、ローリングストーンズとか、日本人だと松本潤とかブルーハーツのヒロトが愛用してるような超ビッグネームのブランドなんですよ。

そこに自分のジーンズを置かせてもらって、でも年間契約を交わしてるわけじゃなく、注文が入れば作って送るだけなので、自分のジーパンをルイスレザーズのお客さんが求めてなければ注文は入らない。ルイスレザーズのファンに「あんなジーンズ作らなければいいのに」と言われるか「良いジーンズ作ってるね」と言われるかは、自分の力量次第。そんなシビアな世界です。だけど、だからこそやりがいがあるし、自分の作ったものが認められることの嬉しさは半端じゃないです。

個人のお客さん向けにジーンズを作ることのやりがいは、ジーンズの色落ちにあります。自分が作ったジーンズをどれくらい愛用してもらえてるかが色落ちに出る。だからお客さんがしっかり色落ちしてるジーンズを履いてると、愛されてるなと嬉しくなるんです。色落ちにはその人の人生も反映されていて、修繕にもってこられたお客様それぞれのジーンズを見るのが楽しいですね。

 

今後、実現していきたいことはありますか?

近い将来に実現しようと思っているのは、『Double Volante』というオリジナルブランドで自社の製品を作ることです。例えばジーンズだけじゃなくジージャンを作って出したりとかやりたいですね。

技術的なところだと、やっぱりもっと上手くなりたいです。自分は今年でジーンズを縫い始めて22年目なんですけど、この頃やっと、昔工場で一緒に働いてたおばちゃんたちの腕にやっと追いついてきたような感覚なんです。あのときのおばちゃんたちが出していたミシンの音は今も覚えていて。頭の中で再生して、手さばきやミシンの踏み加減と音を合わせながら仕事をしています。やっと同じ音が出せるようになってきたかなという気がするんですよね。

一方で、自分は今のままでいいのか、ともよく考えてます。もちろんルイスレザーズさんからはありがたいことに6年ほど注文をいただいてますし、自分が作るジーンズは普通に履く分には耐久性もクオリティも申し分ないはずです。

しかし、縫う技術じゃなくて、ジーンズを作る技術においては、仕事を始めた頃の自分の方が上手かったと思うんです。ジーンズって”雑さ”がある方が、味があって良いんですよね。例えばステッチが歪んでると、機械的じゃなく人の手が加わった感じが出るんです。そういう意味で習いたての頃に作ったジーンズには味がありました。縫うのが上手くなってあの頃の荒々しさがなくなった今は、技術に何をプラスしてより上に行くか常に探しています。

 

最後に、これからどう生きていくかを悩んでいる学生のみなさんに向けてメッセージをお願いします。

行動に移すことを大事にしてほしいなと思います。これやってみたいなって思うことがあって、実際にやってみるともちろん小さい失敗とか、つまづいてしまうことはいっぱいあります。でもそういうものって、歳を取ると財産になるんです。やってみたことが自分に合ってるかどうかもわかるし、合わなかったら方向転換すればいいだけだから無駄な時間になることもないです。行動し続けていれば、苦い思い出も良い経験になるし。

だからぼくは借金は肯定派です。ぼく自身、この店を立ち上げるとき600万円くらい借りてミシンを買って、それでも足りなかったから1本のジーンズを縫うのに必要最低限のものだけを揃えてお店を始めました。借金ができたからやる気も出るし、とりあえずやろうと思ったことは何でもやってみてほしいです。

若いときにチャレンジしないと出せない味もあります。その中で驕る時期は誰にでもあるし、ひと山越えた先でしか見えないものがあるので、とにかくやってみてください。

 

國吉さん、ありがとうございました!ジーンズという物作りにおいては、技術を吸収するほど捨てていったものがある。上に行くためのプラスαを常に探しているというお話を聞いて、これから國吉さんが作られていくジーンズがどう変わっていくのか、その変遷を見続けたいという気持ちでいっぱいです。

シビアな世界だけど、自分の力量、作ったものが認められると嬉しい。これは就活や他の仕事においても同じことだと思いながら聞いていました。自分の望みを恐れず、飛び込んでみて自分の力を磨く。そんな生き方をしていこうと、拳を強く握りしめた取材でした。

さて、次回はどんな方にお話をお聞きできるのでしょうか。今から楽しみです!みなさん、次回の記事も是非読んでください!最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

 

Double Volanteのご紹介

住所:沖縄市久保田2-30-12

TEL:098-932-2286 ☏090-4691-8096

オーダーご希望の方は、ご来店前にお電話を! 

OPEN :11:00~19:00

定休日:なし

オーダーは、県内の方だと27,000円からとなっています。

サイトURL:https://doublevolante.ti-da.net/

記事を書いたメンバー

記事を書いたメンバー

松田 和幸

琉球大学生。トポセシアの広報担当。SNS運用や広告物の制作、取材・執筆を行いながら、沖縄県内のwebメディアでもライターとして活動する大学生。おもに就活生に向けた企業紹介記事を書き、他のwebメディアでは企画記事なども書いている。オモコロとデイリーポータルZが開催した『日本おもしろ記事大賞』という記事のコンテストで、審査員賞を受賞したことがある。