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2021/11/18

トポセシアコラム[12] オカンとロンゴ

ちょうど先日、我が家の長男の誕生日で僕の母親が京都からやってきた。もう70歳手前の母親は、5年前くらいから奄美大島の藍染工房に足繁く通っている。元々は高校で古典の教師をしていたのだけど、教師をしていたときの仕事の話とは比較にならないくらい、楽しそうに染物の話をしている。まあ老後にいい趣味が見つかって、子どもの僕としては良かったなあくらいだった。

40年以上やった仕事も”やりたい仕事ではなかった”

沖縄に来た時に言っていたのは、「教師という仕事は、自分にとって天職ではなかったし、やりたい仕事でもなかった。稼ぐための手段だった。」ということ。40年以上もその仕事をやってきて「やりたい仕事ではなかった」というのにはまあ驚きなんだけど、子どもの自分から見えていたのは、本当に教育熱心で、一生懸命生徒に古典を教えている姿だった。若い人は、期待して要望してあげれば伸びるんだと。60歳になって、定年まで後5年というタイミングで、非常勤という雇用形態に移り変わり、65歳までは「本当に自分は何がしたいのか」を考え続けていたらしい。そこで出会ったのが、藍染だった。もちろん手を動かして染物を作りこむのが楽しいというのもあるが、今では個展を開き物販もしているらしく、「ちゃんと価値のあるものならみんなお金を出して買ってくれる」と。こういった伝統工芸が、しっかり稼げるものになるなら、若い作家も出てくるんじゃないかと。だから年寄りの自分がその道を切り拓きたい。と言っていた。

“論語”と”自分らしく生きていくこと”

まさに論語の世界。

子曰、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。子曰く、、「私は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。四十歳になると、心に迷うことがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」と。

『論語』・旺文社

そう僕がいうと母親は、「40年以上古典を教えてきて、論語というのは60歳手前まで、なんでこんな説教くさいものが世界最古の経典として長い年月、理想の国家を作るための個人としての在り方や、人としての理想の在り方を教えるものとしてずっと使われ続けているのか心底理解できなかった。けど、教え続けてわかったのは、論語は「理想の国家のため」とかそういうことではなく、人がその人らしく生きていくことを「道」として捉え、その道を進んでいく上での指針であるんだな。とようやく理解できたの。」と言っていた。

自分のしたいことを追求する、70歳のオカン。

僕は33歳。論語でいうと「三十にして立つ」。ようやく自立の時。母親には言われたが、今はまだ好き嫌いではなく、やりたいかどうかでもなく、まず目の前にあることを一生懸命やり続けなさいよ。求められるところでちゃんと咲きなさい。後からちゃんと実になるから。と。母親はもう70歳。論語でいうと、「七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。来年は東京で藍染の個展をするらしい。しかも若い作家がもっと活躍していくための道を切り拓くことを目標に掲げてだ。自分のしたいことを70歳になっても追求しているオカン。オカンの人生を、オカンらしく生きている。その生き方は、まさにロンゴそのものであった。

記事を書いたメンバー

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トポセシア

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