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2023/07/21

50人が語る「わたしの道」ライフキャリアマップ ー三輪 尚充さんー

トポセシア10周年を記念してスタートした本企画は、これまでトポセシアに関わってくださった方の中から50人にインタビュー。

これまでのキャリアの中でどのような道を歩んできたのか、そして、これからどんな道を歩んでいくのか、記事として綴っていきます。

何かに迷った時、もう一歩踏み出したい時、また違う誰かの力になるはずです。

トポセシアは創業から約9年間で、多くの人が、様々な立場から関わってくれました。

中でも、トポセシアの就活支援に多大な貢献をしてくださっているのが各社の人事のみなさん。

今回は、トポセシアが就活支援を始めたばかりの頃に人事の立場で関わってくださった、三輪 尚充さんにこれまでの道のりを伺いました。

どうしたら世界が平和につながるのか

『根っこは平和』

三輪さんの生き方の根源には、世界を平和に繋げたいという思いがあります。

三輪さんが生まれ育った広島県では、原子爆弾が投下された8月6日に平和記念式典が行われます。小学6年生の頃に、その式典でスピーチをすることになった三輪さんは、そこで自分自身で伝えた言葉が大人になっても強く頭に残っていたのだそう。

ファーストキャリアとして「いえらぶGROUP」を選んだのも、世界を平和に繋げたいという想いがあったから。

「ITや不動産に興味があったわけではないのですが、(いえらぶGROUPを選んだのは、)会社と自分のビジョンが同じ方向を向いていると思ったからです。小学6年生のときに、8月6日の平和記念式典でスピーチをしたんです。そこで”自分たちが平和をつくっていくんだ”ということを発信したのが、すごく頭に残っていて。”思いを形にして、笑顔と夢中を想像する。”という理念を持った会社で働いて、その会社を大きくすることができれば、他人と比べることなく自分の人生に夢中になれる人が増えて、結果的に世界平和にも近づくことができるんじゃないかと思って入社しました。」

”思いを形にして、笑顔と夢中を想像する。”という理念は、入社当時の三輪さんが考える平和と繋がっていました。

「自分が大切しているものを大切にできる人が幸せを感じられると思うんです。世間一般の幸せを自分の幸せだと感じている人は、ついつい周りと比較してしまったり、あれが欲しい、これが欲しいと青天井に(欲が)生まれてしまうのですが、自分自身の生き方や何を大切にすべきかを見えている人は、自分の中に納得感があるはずなので、周りと比較することなく幸せを感じられると思います。そんな人は、わざわざ人を傷つけたり、人のものを奪ったりしなくていいので、みんなが自分自身の生き方や大切なものに気づいていくというのが僕が考える平和です。」

人それぞれの生き方や大切なものに気づくということの重要性は、三輪さんの人生の転機に必ずと言って良いほど表れます。

学生の可能性が青天井であることを伝えたかった、沖縄での人事活動

新卒で入社したいえらぶGROUPでは、内定者という立場ながら社長と2人で、後にいえらぶ琉球となる沖縄支社の立ち上げ業務を任されます。

「大学4年生の頃に沖縄に支社を出すことになり、まだ新卒で暇だろうということで沖縄にいくことになりました。その頃は、毎週水曜日は那覇と羽田間を飛行機通学でしたね(笑) 初めは営業をしていたんですが、2年目からは組織を作っていこうということで人事業務をすることになりました。まだまだいえらぶ琉球が無名の頃に寺地さんと出会い、力を注いでくれたことに感謝しています。」

トポセシアの事業責任者である寺地も、事業としてまだ形の定まらない時期のトポセシアに仕事を任せてくださった恩人として三輪さんのことを語ります。まだまだこれからという時期に、お互いを信じて仕事ができたことも奇跡のように感じます。

「その頃の沖縄は、銀行か公務員かみたいな文化が強いように僕からは見えていて、ベンチャー企業は異質でした。ベンチャー企業自体はあったのですが、(給与面など)コストがかからないから沖縄に進出するという企業が多いように感じました。そういう環境の中では、就活生も自分自身がどうなりたいかということがイメージできる状況ではなく、そのような環境であっても沖縄の学生さんがキャリアや働きがいを感じられるように採用活動を工夫したのを覚えています。トポセシアに集まる学生さんたちに、こんな生き方があるんだ、こんな仕事があるんだ、面白い世界があるんだと伝えているのがトポセシアであり、その学生さんたちと出会えたのが僕たち人事でした。」

三輪さんは、まだまだ始まったばかりだったトポセシアの就活合宿イベント「Visions+Camp」で、深夜まで学生の面談をしてくれました。

仕事の範疇を超える熱意を持って取り組んでくださったのは、”学生の可能性を広げたい”という想いから。

「人事の仕事はすごく面白かったです。寺地さんの考え方を学びながらだったのもよかったと思います。特に沖縄の就活は、どうしても企業が学生を見極めるみたいな感覚が強いように感じていて、学生さんたちもいかに面接で合格するかとギラギラしながら考えていて。でも、トポセシアでは自分自身がどうなりたいとか、自分自身の人生をどうしたいかというのが大前提にあって、それからどの企業を選ぶべきか自分自身で選択していくということを伝えていました。僕自身も企業として見極めるという発想ではなく、学生さんが自分の理想を描いたり、青天井に可能性があることを伝える活動が、僕の沖縄での人事活動だったと思います。」

三輪さんの想いは、しっかりと学生に届いていました。

「僕が2016年12月で会社を辞めることになった時に、沖縄で出会った学生さんたちが集まって、”僕と出会うことで景色が広がりました”と言ってくれたのがすごく印象に残っています。(立ち上げの時から)社長もいたのですが、マネジメントされていたわけではないので、東京に残って先輩たちに鍛え上げられた方が自分のキャリアになったのかなと悩んだこともあったのですが、今では沖縄での経験が僕の財産だと思っています。沖縄を離れる飛行機に乗ったときにも、沖縄で過ごした時間を思い出して涙が溢れました。」

熱意を持って、ストイックに仕事に取り組む三輪さんのスタンスを作ったきっかけは、中学生の頃まで遡ります。

「人との向き合い方のスタンスは、昔から変わっていないと思います。僕の中で、どんなことも当たり前じゃないんです。出会いもそうですし、家族がいるってこともそうですし、何かにチャレンジできるのは帰って来れる場所があるからこそです。全ての環境が当たり前ではなく、”有難い”という感覚なので、だからこそ出会ってくれた学生さんや関わってくれた方に感謝しかないです。そう思うようになったきっかけは、中学生の頃の恩師を亡くしたことかもしれません。」

自身が通っていた中学校で父が教師として働いていたことで、学校では優等生でなくてはならないというプレッシャーから学校生活が上手くいかなくなり、母に反抗したり、宿題をしなかったりという時期があったのだそう。

その時期に唯一弱みを見せていた中学1〜2年生の担任の先生は、宿題をしていなければどこまででも追いかけてきて、三輪さんが納得いかないことがあれば下校時間になるまで話してくれた大切な存在。

そんな先生を高校1年生のときに病気で亡くし、初めて大切な人を失ったことをきっかけに本当の幸せのあり方や今いる環境が当たり前でないことに気づいたのだそうです。

“何になるか”より”どう生きるか”。

2016年にいえらぶ琉球を退職し、これまで以上に自身の自己実現に向き合うために、採用や人事のコンサルタントに転職した三輪さん。

転職をきっかけに拠点を東京に移しますが、一生懸命にハードワークするスタンスは変わらずにいました。

「東京に戻ってからも、変わらずがむしゃらに働いていたのですが、ある日、駅で倒れてしまって。それをきっかけに、本来の自分の頑張り方でないやり方で頑張っていたんだなと気づきました。どれだけ働いてキャリアを上げていくか、役員を目指すのもいいなと思いながら、とにかく働いていて、それが自分の全てでした。キャリアの初めに描いていた平和への想いも変わらず持っていたと思いますし、人事の仕事の中で言葉にもしていたのですが、今考えると無理やり紐付けて頑張っていた状態だったと思います。自分はできる、もっといけると、悪い方向に”青天井”を言い聞かせていました。」

無理が重なり、倒れてしまったことをきっかけに実家に戻り、体調を治しながら一人で自分自身を見つめ直すことになります。

「倒れてから実家に戻り、そこから半年間はベッドから起き上がれないくらいの状態でした。一人になって本を読んだり、色々と考えたりしていると、人によってそれぞれ大切な生き方があるということを知りました。」

ハードに働いていた時間から一変し、休養しながら学んだのは、何になりたいか、何を成し遂げるか以上に、”人によってそれぞれ違った生き方がある”ということ。

「昔は、企業選びをしていなかったはずなんです。江戸時代までは農民の子どもは農民で、武士の子は武士だったのが、明治時代になって急に好きな仕事から選んでいいよとなってから、みんな困っちゃったのかもしれません。武士は自分の仕事が決まっているので、”どんな武士になるか”を考えることに時間を割いていたと思います。」

「現代の話でいうと、話を聞くのがすごく上手なお医者さんがいるのですが、その方は幼少期から人の話を聞くのが上手く、話しを聞いてあげた人たちが肩の荷が降りたと言ってくれるので、人の話や悩みを気持ちよく聞くという生き方をするために医者になろうと決めたのだそうです。お医者さんになってからも、患者さんの悩みを聞いてあげて、患者さんの心が軽くなったり、なんか体の調子が良くなったりということがあるそうです。医者になることより、話を聞くという生き方を先に設定するから、生き方がズレずにいられるのだと思います。一方で、単に”医者という職業”を目指している人は、どんな医者になるかを決めずに医者になるから、思いもよらない壁に挫折するんだと思います。今の僕は、”何になるか”ではなくて、”どう生きるか”ということが重要だと思っています。」

学生に可能性が”青天井”であることを伝えたかった沖縄での人事時代と比べて、今は就活生に伝えたいことが変化しているのだそうです。

「沖縄で人事をしていたときに採用した学生さんの中には、今も頑張って輝いている人もいれば、上手くいかなくて挫折した人もいます。そういう子たちに今の自分が何か伝えるとするなら、良い意味で等身大でいる、自分を大切にするというようなことかと思います。キラキラしている人はかっこいいので誰もがそうなりたいと思ってしまいますが、自分自身の大切な生き方がきっとあるはずなので、それに則った生き方じゃないとなかなか上手くいかないかもしれません。ただキラキラするのではなく、その人にとってキラキラした状態がどのようなものなのか一緒に考えられたら良かったと思っています。もちろん、その人にとっては(挫折したことも)きっと意味のある時間だとも思います。」

人にも、法人にも、親にもそれぞれ大切な生き方がある。

採用や人事のコンサルタントという立場として、法人それぞれの”生き方”を見つけるサポートをしている三輪さん。

「人も法人(会社)も、それぞれが人格を持っている”人”なので、それぞれに大切な生き方があるはずなんです。ついつい周りの人と比べて、自分もああした方がいいなとか考えてしまうように、法人も他の企業と同じように上場した方がいいかとか考えてしまいがちですが、(人も会社も)それぞれに生き方や個性があって、それは生み出すものではなくて、絶対にその人や会社の中に大切にしてきたものがあります。その言語化や形にしていくことのお手伝いができたらいいなと思っています。」

法人として本来の生き方を認識することができれば、その中で働く人、取引先で働く人など、よりたくさんの人が幸せになり、少しずつ世界の平和に近づくかもしれません。

また、コンサルタントの仕事とは別に、フリーランスでの活動として”親”へのアプローチも行なっているのだそうです。

「妻が保育士なので色々教わるのですが、人の自己肯定感って0歳くらいで決まるんだなと痛感していて。今は、24時間履いていても大丈夫なオムツもありますが、親としては大変でも1日に何度も履き替えさせてあげることで、赤ちゃん自身がこの世に生まれてきて良かったんだという基本的な信頼感が育まれるのだそうです。」

「(親が楽な方を選んでしまえば、)赤ちゃんが泣き止むまで放っておくこともできますし、オムツも1日1回の交換でいいかもしれません。大変なことばかりでも、泣くたびにきちんとあやしたり、こまめにオムツを履き替えさせてあげるということができるには、親それぞれが自分自身の生き方をしっかりと持っているということが大切だと思いますし、その結果自己肯定感が高い子どもたちが増えるのではないかと思っています。そのために、色々な親御さんを集めたコミュニティを作って、子育ての考え方や生き方についてサポートしています。僕は子どもが一歳半で、親としてもまだまだではありますが、一人ずつコミュニケーションをとりながら育んでいます。」

個人、法人、親、子どもなど、様々な立場の”生き方”を見つけるサポートをする三輪さん。

三輪さん自身も、これまで歩んできた道から自分が大切にする生き方を見つけ、世界を平和にするという目的に向かって一歩一歩を大切に歩んでいるように感じました。

この記事を書いている私にとっても、読んでいる方にとっても、少し立ち止まって、自分らしい生き方を探し始めるきっかけになればと思います。

記事を書いたメンバー

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トポセシア

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