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50人が語る「わたしの道」ライフキャリアマップ

2023/11/28

50人が語る「わたしの道」ライフキャリアマップ ー松村 賢さんー

トポセシア10周年を記念してスタートした本企画は、これまでトポセシアに関わってくださった方の中から50人にインタビュー。

これまでのキャリアの中でどのような道を歩んできたのか、そして、これからどんな道を歩んでいくのか、記事として綴っていきます。

何かに迷った時、もう一歩踏み出したい時、また違う誰かの力になるはずです。

トポセシアの就職活動支援は、人事のみなさんの協力がなくては成り立ちません。

今回インタビューの機会をいただいた、株式会社プロトソリューションの松村 賢さんは特に事業初期から関わってくださっています。

企業人事でありながら、自社に採用することよりも学生のキャリアを最優先したアドバイスをしてくれることで、毎年多くの就活生から人気のある人事さんです。

そんなスタイルに至るまで、どんなキャリアを歩んできたのか、これまでの道のりを伺いました。

注目される喜びを感じて、ストイックに取り組んだ陸上競技

高校卒業後に沖縄へ移り住むまで、東京の府中市で生まれ育った松村さん。

幼い頃から運動神経が良く、少年野球でも活躍されていたのだそうです。

「小学2年生から6年生まで少年野球をやっていて、中学進学後も野球部に入れるものだと思っていたら、進学した中学校では1年生は野球部に入れないという謎のルールがあって。これが世の中か…と、初めて理不尽を知ったかもしれません(笑) 硬式野球チームの見学にも行ってみたんですが、メンバーの体格が大きくて、そもそも硬式球を打ったことがなかったので、ここでは活躍できないぞと。その頃に、小学校からの友達が陸上部に入るっていうんで、ちょっと足が速くて自信があったし、その友達と一緒に登下校できるから陸上部でもいいかなと軽い気持ちで入部しました。」

今の松村さんの何事にも全力で取り組む姿勢からは想像ができませんが、入部当初はほとんど練習に行かない幽霊部員だったそうです。

「今考えると、1年生だから基礎しかやらないのは当たり前なんですが、そのころはとにかく陸上競技に面白みを感じられなくて。適当に頭痛いとかお腹痛いとか嘘をついて休んだり、何も言わずにサボったりっていう感じでした。夏休みに入ると、秋に向けて追い込みの時期になるのですが、当然夏休みも遊びまくって練習に参加しませんでした。あと2〜3日で夏休みが終わる頃になんとなく顔を出してみると、他の小学校から進学してきた同級生たちに無視されたんです。タイムも測ってもらえないし、『お前なんで来たの?』みたいな目で見られて。やるべきことをやらず連絡もなしに休んでたら、それは無視されちゃうよなと、さすがに反省して夏休み明けからはちゃんと通うようになりました。」

練習をサボってばかりだった陸上競技に熱中するきっかけは、思わぬ形で訪れます。

「練習もあまりしていないのに、とある記録会で同級生の部員の中でも4番目に速い記録が出てしまって、そこから周りの目が少し変わり始めました。ちょっとずつ部員ともコミュニケーションが取れるようになって、タイムもそこそこ伸びていって、陸上が面白くなっていきました。それでも冬季練習はキツすぎてちょこちょこサボってたのですが、2年生の春に(上級生も含めた)部全体で1番のタイムが出て、もっと練習したらもっと速くなれるんじゃないかと思ったし、他校の人からも声かけてもらえたりして、だんだんと注目される喜びが出てきて。そこからは遊ぶこともなく、尋常じゃないほどストイックに取り組みましたね。この時期に今の自分の礎ができ始めたんだと思います。」

“注目される喜び”を感じたことから火がつき、夏休みの家族旅行を断って練習するほどに熱中したのだそう。

中学では、手動計時ながら全国6位タイ(11秒1)まで記録が伸び、陸上推薦で高校へ進学し、大学でも陸上競技に明け暮れました。

「面談で学生さんに『なんで陸上をしていたんですか?』と何度も聞かれるうちに、”注目を浴びたいから”なんだと気づきました。少年野球ではショートを守っていたのでポジション上注目されていたのですが、中学で見学した硬式野球チームでは自分が注目を浴びることはできないと気づいたから、野球を続けなかったのかもしれません。その点、陸上競技は、基本的に1人で行うスポーツなので、みんな自分を見てくれて、応援してくれるから続けられたんだと思います。

学校生活の中でも、こっそりバク転を練習して、文化祭や宿泊学習の出し物で突然披露したことが、とにかく快感だったのを覚えています。パッと注目を集めて、何でもできる自分としてかっこよく見せたいんでしょうね(笑)」

練習や準備をする姿は誰にも見られたくないものの、その準備過程はかなりストイックに取り組むのだそう。

「陸上は”準備のスポーツ”なので、当日の朝までに何をしてきたかでほとんど結果は決まっていて、本番直前に何をしても結果は変わらないんです。陸上から学んだ、当日の朝までにしっかりと準備をして臨むという姿勢は、人事の仕事にもすごく活かせていると思います。会社説明会が近づくと誰にも見られずプレゼンの練習をして、当日には何も怖いものがないという状態まで仕上げてます。説明会前日の帰り道に、録音しながら1人で話してみて、それを確認してというのを何度も繰り返して、長い時は2〜3時間練習していることもありますね。」

注目される場で最高の結果を残せるよう、誰も見ていない中で徹底的に準備をすることが、これまでの活躍に繋がっています。

価値観が変わるほど壮絶だった、ファーストキャリア

高校の陸上部でお世話になった先生に憧れ、保健体育(高校)の先生になるためと、母が沖縄出身ということもあり、沖縄へ移住決意かつ教職がとれる名桜大学へ進学しました。

「大学生活は、陸上競技と教職の勉強だけに明け暮れた4年間でした。高校の恩師に、教職に就きたいと相談すると、沖縄は臨時職員として教員をしながら本採用を目指す人が多く、すぐに新任で採用されることは難しいと言われました。でも、やるからには覚悟を持って死に物狂いで4年間取り組んで、それで無理なら諦めると大学入学前から決めていました。僕なりに一生懸命頑張って、東京と福岡、沖縄の採用試験を受けたのですが、全部落ちてしまって。僕の性格上、臨時職員として働きながら、陸上も続けて、さらに教職採用試験のために勉強をするのは、それぞれが中途半端になってしまうと感じたので、落ちた時点できっぱりと諦めましたね。」

採用試験に落ちてしまったのは、4年次の11月。

合説に行ったこともなく、インターンシップには単位のために参加しただけという状況で、就職活動が始まりました。

「高校入試や大学入試でも失敗したことがなかったので、教員採用試験に落ちたことで、勝てないこともあるんだなと初めて知ったと思います。でも、心のどこかで『なんとなく働けるんだろうな』と思っていました(笑) 当時、大学卒業1ヶ月前に就職先が決まるような人も多かったので焦ることもなく。あと3ヶ月くらいあるし、とりあえず卒論をやっておこうくらいの気持ちでしたね。」

どこかでなんとか働けるだろうと楽観的に考えつつも、大学卒業が迫ってくると就職活動を始めなければいけません。

「人と話すのは好きだから営業がいいかな、奨学金や携帯代を考えたら給与はこのくらいか…と適当に条件を入れて新卒採用情報サイトを調べて、一番上に掲載されていた会社の求人情報が悪くないのでなんとなくエントリーしてみました。その翌日に参加した会社説明会で『明日面接をするので、履歴書を持って来てください。』と言われて、さらにその翌日のお昼には内定が決まっていました。 今ではありえないですが、電話で内定承諾の確認が来て、よく分からずいつの間にか内定を承諾してました(苦笑)」

現場も見ずに約3日で内定が決まったファーストキャリア。

社会人生活は想像を絶する環境でスタートしました。

「大学卒業の直前に、福岡の電波も届かないような森に同期全員で連れて行かれて、3泊4日の入社前研修を受けました。まだ学生気分が抜けずに旅行のつもりで参加していたんですが、教官が研修室に入ってくるなり怒鳴りつけて、『お前らの価値観は、今日から金だ』と言われ、なんだこれはと(笑) 」

「六法全書のような分厚い参考書を暗記するように言われ、そのテストが解けなければ人格否定される、怒号が飛ぶ、というような地獄の内容が続くんですが、最後の最後に教官から『この合宿で、みんな本当によく頑張れた!踏ん張れた!助け合えた!それが出来たのも、いまあなたの周りにいてくれる人の存在があるお陰だ!メンバーに感謝しよう!最後に、現場でも志高く誰よりも1番を目指せ!みんなの活躍を期待している』とモチベーションが上がるような言葉をかけられて、そのときには同期全員でやってやろうという気分になっていたし、お金を重要視した価値観になっていましたが、仲間?感謝?1番?もう色々とメッセージがあって、カオスな感情になっていたのを覚えています」

驚いたのは初めだけで、研修が終わるころには教官の言うことに納得し、会社や家族のためにお金を稼ぐことこそ、社会人の責任だという価値観に変わってしまいました。

地獄のような研修を終え、大学を卒業すると実務の現場に配置されていきます。

「採用時の条件として週休2日と書いてあったのですが、入社して最初の金曜日に『明日は土曜日ですが、稼ぎ時なので準備するように』と言われて、え?と(笑) そのまま、土日の休みも有給もなく、成績が良くないときは激しく詰められるような環境で働き続けることになりました。でも、人って慣れてくるんです。給料はかなり良かったし、同じ苦しみを共にする同期もいるし、まあいいかなと思っているうちに3年間働いていました。特に同期に救われたことが大きくて、今でも学生さんには『人生で初めての同期と言えるのは、新卒入社した会社で出会ったメンバーだけ。大切な存在だ。』と必ず伝えるようにしています。」

今でも、ファーストキャリアの会社で出会った同期のみなさんと定期的に会う機会があり、それぞれの成長を実感するのが喜びの一つなのだそうです。

「3年くらい働いた頃に、会社が倒産することになりました。グループ企業に転職する話もあったのですが、当時結婚を考えていたこともあり、この働き方は続けられないと思って。そのタイミングで前職で知り合った先輩から連絡をいただいたことがきっかけとなり、プロトソリューションの中途採用試験を受けて、人事として入社しました。」

過酷な環境から逃れたことを喜ぶかと思いきや、松村さんの中に染み込んだ価値観がすぐには変わらず、複雑な気持ちで働くことになります。

「プロトソリューションに入社したあとも、前職で染みついた価値観がどうしても抜けないんです。前職の給料がかなり高かったので、それと比べて給料日に通帳を見るのが嫌でしたし、定時で上がって夕方のニュースを見ていると、過酷な残業をしてまでお金を稼がずに俺は何をしているんだろうという気分になって。前職の給料に合わせた生活も変えられず、どんどん貯金も減っていくんです。あんなに過酷な環境だったのに、お金中心の価値観のせいで前職に戻りたいなと考えることもよくありましたね。」

「入社を誘ってくれた先輩に『会社の価値観は金じゃない。考えを改めろ。』と言われ、新卒入社の方と一緒に研修を受けました。その価値観は、入社してから3年くらい経ってマネージャーになるまで変わりませんでした。昇進して任される仕事が増えてきて、仕事への向き合い方が変わり、子どもができて親としても自立しないといけないと思うようになり、今の考え方ではいけないなと。結婚や出産が大きかったと思います。」

家族の存在が価値観を変えるきっかけとなったと話す松村さん。

プロトソリューション入社当時から、家族の誕生日には必ず休みを取ってお祝いするのだそうで、そのエピソードからも価値観の移り変わりを感じます。

人事のプライオリティを高めて、もっと良い社会に。

「人事として入社後すぐに現場(サービスや商品を作る部署)へ異動となり、部署付の人事としてキャリアが始まります。何をやっても分からないことだらけでした。先輩からは『いい意味で周りに言われることを無視して、自分の考えで動きなさい。』と言われていたので、とにかく結果にこだわって自分なりに動いていました。当時、ハローワークさんでは雇用保険や失業保険をもらう方の待ち時間に5分くらい会社説明をさせてもらうことができたのですが、会社説明をしようとしても上手く説明出来ないし、質問にも答えられないし。でも先輩は、良い意味で何も教えてくれないので、HPを隅々まで見たり、合同説明会に付いて行って録音した説明を何度も聞き返したりしました。今思い返すと、自分で動くプロセスを学ぶことができたので、先輩からの愛情だったなと思います。ハローワークには2年間近く毎日通っていて、そこから採用させていただくこともあり、当時考えていた意味での結果に繋げることはできていました。」

人事としての仕事は陸上部時代から培ったストイックさで結果を出し始めていましたが、マネージャーとしてはなかなか上手くいかない日々を過ごします。

「新任のマネージャーが(社内の課題解決や社会貢献事業などに取り組む)委員会のプロジェクトマネージャーを務めるのが、プロトソリューションの慣習なんです。その委員会ではとにかく失敗だらけで、先輩マネージャーに助けられてばかりでした。今思い返してもありがたいと思う反面、自分が情けないなとも思います。」

陸上競技や前職での経験を通して、1人で動いて結果を出すことには慣れていましたが、チームで動くのはほとんど初めての経験でした。

「前職では結果さえ出していればやり方は問われなくて、チームとしての連携もなかったので、自分がやりたいようにやっていました。でも、マネージャーになって初めてチームで動くようになると、連携が上手くできないんです。何でみんなに伝わらないんだろうって。とにかく何も上手くいかないなって思っていました。これが社会人としての初めての挫折だと思います。もうその頃には周りの目を気にしている余裕もなく、プライドを捨てて、チームや会議での動き方を先輩社員にとにかく聞きに行くことで、なんとか乗り越えようとしていましたね。」

マネージャーとしての挫折を経験した矢先、人事としても大きなターニングポイントに出会います。

「あるとき、上司に『人事としてどう歩んでいきたいの?』と聞かれて、ハッとしました。それまでは、どんな人事になっていきたいか、学生さんや中途採用のみなさん、会社に対してどういう価値提供をしていきたいかとかは全く考えずに働いてきたんです。この会社で何ができるかを考えても何も思いつかず、そんな自分が嫌になり、会社を辞めることさえ考えました。マネージャーとしての挫折も重なり、毎日が苦痛で。でも、ストイックに動くことすらやめたら、自分が自分でなくなると思って、とにかくがむしゃらに動いていましたね。」

どう動いてもなかなか思うような成長が感じられない日々。

その日々を乗り越えたきっかけは、入社を誘ってくれた先輩が指導してくれた”とにかく自分で調べる”という学び方でした。

「そのころにトポセシアさんを通して学生さんと関わるようになるのですが、僕が何も考えられていない状態だと、一生懸命話しても学生さんに響いている感覚がなくて。学生さんにもっと会社のことを知ってもらうには、自分と向き合って本気で取り組まないといけないと考えるようになりました。初心にかえって、もう一度自社のことを徹底的に調べたり、現場の方と飲みに行って思いを聞いたりといったことを繰り返していると、会社に関わる人たちの思いに気づいたんです。それを自分の中で咀嚼して、誰にでも対等に接して、リスペクトを持って伝えないといけないと思うようになりました。初めは、意識してリスペクト”しないといけない”という使命感でしたが、だんだんと学生さんのことをもっと知りたいと思うようになり、一方的に会社のことを伝えていた昔の自分と大きく変わったと思います。1人ずつをしっかりと見て、ちゃんと知ろうというスタンスになりました。」

“リスペクト人事”を掲げ、学生さんひとりひとりの話をしっかりと聞き、人生やキャリアを真剣に考えたアドバイスをする松村さんの人事としてのスタイルは、この頃に確立されてきたのだそう。

人事のプライオリティーを高めたい

「挫折を経験する前の僕は自分のため、会社のため、部署のために人を採用するということしか考えられていませんでした。狙った人を採用できて現場の人にお礼を言われた時はやりがいを感じられたし、逆に内定を辞退された時はすごく悔しかったし。でも、今ではこの会社に入社することで誰でも幸せになれるとは思っていないんです。」

採用試験の中で関わっていた学生さんの言葉で、人事として求めてきた”結果”の意味合いが変わります。

「(もうすぐ内定が決まりそうな)ある学生さんに、『プロトさんは楽しそうだし良い会社だし、頑張れそうと思ったんですが、私は本当に入社していいのかと思いました。』と言われたことがあるんです。そのときに、僕にはグサッと刺さって、今でも印象に残っています。この子はなんて素晴らしい子なんだと思って、正直に言ってくれてありがとうと伝えました。」

自分の人生を一生懸命に考えて判断できる学生さんに出会ったことで、人事としてのやりがいにも変化が起こります。

「人の価値観はそれぞれだから、今、目の前で採用試験を受けている学生さんが、必ず幸せになれるかは分からない。それなのに、『絶対うちに来て』、『こっちが絶対いいよ』って伝えるのは良くないんじゃないかと思っていて。本当にうちの会社でこれがしたいと思った方だけ、来た方がいいと思うようになったんです。採用プロセスの中で、うちに合わないと思う学生さんには、僕から入社しない方が良いと伝えることもあります。それがいいかどうかはまだ分からないんですが、何ヶ月か経った頃に、辞退をした子が希望の会社に入社した報告をしてくれるんです。これはたまらないですね(笑) 人事をやっていてよかったなと思う瞬間ですし、これがあるから頑張っていると思います。」

そのような採用の仕方、人事としてのスタンスは、個人の人生だけでなく、沖縄社会にも大きなインパクトを与えるかもしれません。

「沖縄の3年以内の離職率約40%は、長らく変わっていません。人事の仕事を通して少しずつ見えてきたのが、親や先生から公務員になれと言われたり、大きな会社に行けと言われたりすることが、学生さんの選択に大きく影響しているんじゃないかということです。その言葉を鵜呑みにするのではなくて、やりたい仕事や入りたい会社があるなら、そこに行った方がいい。その決断をするためにも、色々な選択肢を与えてあげるのが人事の仕事だと思います。合説や説明会に来てくれた学生さんには、『就活の時に色々な犠牲を払って頑張っているけど、来年の自分が今のモチベーションで働いているかというと約半分はそうじゃないし、3年目になるころには辞める人が多い。3年続けられずに転職したとして、面接で経験やできることを聞かれても答えられないかもしれない。そうならないように、自分が納得して、最低でも3年はいられる会社なのか、真剣に考えよう。親や先生はどうでもいいから、あなたのキャリアを自分で決断してほしい。』と必ず伝えるようにしています。人事の立場としても沖縄の3年以内の離職率を本当に変えたいんです。」

沖縄の3年以内の離職率を解決するには、人事のプライオリティ(重要度・優先度)を高める必要があるのだそう。

「世間一般でいうと、人事は花形の仕事と言われることがあります。会社の顔であり、社外で会社のことを語るということは、社長の言葉を代弁していることにもなります。でも、会社によっては人事のプライオリティが低く、現場や役員、責任者が上で、間接部門だとかコストセンターだとか揶揄されることもあると聞いています。ほとんどの会社では、採用までは人事部門で、現場での裁量権は現場の人にあります。」

「人事のほとんどは”採用する数”に対して目標値が設定されているので、その人に合うかに関わらず自社に来てくださいと、とにかく言う。そうすると、離職率が高くなって、人事は現場から採用ミスをしたと言われてしまうんです。でも、人事のプライオリティが高くなって、誰よりも人のことを考えている人事の立場から適材適所に人を配置する、採用するということができれば、3年以内の離職率は下げられるはずだし、もっと良い社会になると思います。そういったことをイメージして、人事のプライオリティを上げることが、今の僕の夢ですね。」

松村さんが考える人事像は、単に人を採用するだけの役割ではなく、人のことを誰よりも真剣に考え、人生の岐路を一緒に考える立場になるというもの。

自身の挫折や苦労の中から見つけたリスペクトの気持ちが、関わる人の人生や沖縄社会をもっともっと良くしてくれるはずです。

記事を書いたメンバー

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トポセシア

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