2023/08/31
50人が語る「わたしの道」ライフキャリアマップ ー三浦 正樹さんー
トポセシア10周年を記念してスタートした本企画は、これまでトポセシアに関わってくださった方の中から50人にインタビュー。
これまでのキャリアの中でどのような道を歩んできたのか、そして、これからどんな道を歩んでいくのか、記事として綴っていきます。
何かに迷った時、もう一歩踏み出したい時、また違う誰かの力になるはずです。
世界一のラーメン企業を目指す「株式会社ギフト」、三浦正樹さん。
現在は営業部長として、二郎系ラーメンを提供する「豚山」の展開に全力で挑んでいます。
トポセシアには採用担当として関わってくださり、トポセシア卒業生の中には現在も株式会社ギフトで活躍している社員さんがいます。
飲食業界のなかで様々な経験をしてきた、三浦さんにこれまでの道のりを伺いました。
高校卒業後に情熱を注げるものはなかった。
強豪高校の柔道部でキャプテンを務めるほど、柔道に情熱を持って取り組んだ三浦さん。
「僕、高校卒業後のことは本当に何も考えていなくて。何をやりたいとか、目的も目標も特になくて。柔道に熱中したように、高校卒業後も情熱を注げる仕事がいいなと思っていたのですが、何も浮かばずに、2年くらいフリーターをやっていました。」
周りの友人が就職し始めたことに焦り、そのとき初めて自分のやりたいことを考えたのだそう。
「とはいっても、何がしたいのか、どんな志を持っているのかと考えてみても何も持っていなくて。一番好きなものってなんだろうと考えてみると、”食べること”が好きだし、そこにすごく幸せを感じると気づいて、”食”が僕のキーワードになりました。当時から白米が大好きだったので、白米に一番合うと思う中華なら情熱を注げるんじゃないかと勝手な仮説を持って、中華のコックさんとして就職しましたね(笑)」
“食”をキーワードに中華料理店に就職した三浦さんですが、これまでほとんど料理経験はありませんでした。
「お客さんに食べてもらえる料理を作れるようになるというのは、料理経験がほとんどない僕にとっては大きなハードルでした。それに加えて、毎日16時間拘束の仕事で休みもほとんどなくて、半年くらいお店に寝泊まりしていました。ほとんど家に帰れないので、下着が足りなくなって、100円ショップで買ってきては、洗って更衣室で干して、またそれを履いてっていう生活で。」
厳しい環境で働く中で、次第に”思い描いたものと違う”という考えが募ってきます。
店長に仕事を辞める相談をしましたが、説得された末、とりあえず1日だけ休んで考えることになりました。
「考えてみると、まだ何も身になっていないなと思って、何か身になるまでやろうと決めてから、3〜4年くらいはその中華料理店で働きました。そう決めてからは、技術を高めるためにも頑張ることができて、最後は料理長を任せてもらえるようになりました。」
まずは少しでも何かを身につけたいと仕事を続け、やりがいを持って働けるようになる出来事にも出会います。
「料理長を務めていた店舗はオープンキッチンで、厨房からお客さんの顔が見れるようになっていたのですが、一口目を食べたお客さんが美味しそうにしてくれるのが嬉しくて。『美味しかったよ』『ありがとう』『ごちそうさま』とか、お客さんからお礼を言ってもらえることもあったんです。そのうち、もっとお客さんに喜んで欲しいという欲が生まれてきて、やりがいを持って働けるようになりました。その頃には、休みも取れるようになってきて、良い環境になっていました。」
“美味しい料理でお客さんに喜んでもらいたい”という気持ちは、今の三浦さんにとっても変わらない原動力となっています。
飲食業界への不満と仕事への迷い
中華料理店で一緒に働いていた先輩が、友人との共同経営でお店をオープンすることになり、三浦さんも料理人として働くことになりました。
「共同経営ってなかなか難しいようで、まだ開店2ヶ月くらいだったのに、僕を誘ってくれた人が共同経営者と喧嘩別れして辞めちゃったんです。僕も一緒に辞めようと誘われたのですが、その人がずっと僕の面倒を見てくれるわけではないし、一緒に辞めるのはなんか違うなと思いお店に残りました。」
その環境から学んだことのひとつは、美味しい料理を提供するだけでは、飲食店経営は難しいということ。
「店長兼料理長として働いていたのですが、当時は美味しいものを作ってお客さんに喜んでもらうことしか考えていなかったので、赤字が続いたときに、人件費と売上を上手く合わせることすら難しくて。例えば、飲食店はスタッフの歩数が計算された店舗づくりをしないと人件費に大きく影響するのですが、当時はその導線設計もされていませんでした。今なら、店舗の空間づくりから関わりたいと思っています。」
美味しい料理を提供することには大きなやりがいを持っていましたが、個人店経営の難しさを経験し、飲食業界以外にも興味を持ったのだそう。
「飲食店の経営の難しさを経験して、次は飲食業界じゃない方がいいのかなと考え始めていたので、飲食店から出た不要な油や臓物を回収するリサイクル業の会社で働いてみることにしました。でも、腐ってしまった臓物が何10トンも積まれた倉庫の匂いにどうしても耐えられなくて。僕は美味しい料理をつくる仕事をして、いい香りのものを提供していたのに、なんで腐った食べ物が集まる場所で働いているんだと思い始めると1週間で辞めてしまいました。」
飲食業界以外の仕事を経験し、改めて飲食の世界が好きだと気づいた三浦さん。
次の仕事で重要視したのは、”人を大事にしてくれる環境”でした。
「居酒屋というスタイルでしたが、働く人を大事にしてくれる、人に対して熱い飲食の会社が見つかり、すごく楽しく働くことができました。楽しい仕事ではあったのですが、双子の子どもが生まれたことで労働時間の長さが気になり、その生活は何か違うなと思い始めました。そのときもですが、キャリアを通して常に何か違うなと感じていたと思います。」
何か違うという違和感を抱えつつも、次の転職でも飲食業界を選びました。そこで初めて、ラーメン屋さんに入社することになります。
「カウンターからラーメンを提供するスタイルのお店だったので、中華料理店のオープンキッチンで働いていた頃に感じていた、目の前のお客さんに喜んでもらうという環境にまた楽しさを感じられて。ラーメンという、ある意味何でもありの、ジャンルであってジャンルでないようなところにも面白さを感じていました。そこでは3年くらい働いていたかと思います。」
キャリアを通して、常に何か違うなという気持ちが拭えず、いつの間にかジョブホッパーになってしまっていたのだそう。自身の20代〜30代前半をこう振り返ります。
「僕、ジョブホッパーになる人たちの気持ちってすごく分かるんです。ジョブホッパーになる人は自分自身の中に、納得できるような形や理想の形をしっかりと持っていないのかもしれません。『もう少し頑張る』なのか、『その環境は違う』なのかをしっかりと見極めて欲しいと思っています。もう少し頑張るという選択でも、ただ頑張るというのも違いますし、その時々に目的を持って頑張れるかだと思います。20代から30代前半の僕は、色々なことに違うなと思いながら、転々としてしまいました。」
納得できるととにかく進める。
初めてラーメン屋さんに入社し、お客さんに喜んでもらうやりがいを取り戻した三浦さんですが、漠然とした”何か違う”という感情は変わらないまま、次の転職先を探していました。
「別のラーメン屋さんへの転職が決まっていたのですが、面接官の態度が一緒に働く仲間として接していないなと感じて、そこもなんか違うなと思い、内定を辞退させてもらいました。その後、別の会社を探しているときにギフトと出会い、面接を受けにいきました。その頃には、子どもがもう小学生になっていて、そろそろ仕事を変え続けるのも厳しいなという状況だったと思います。」
次の転職を失敗するわけにはいかないという気持ちから、飲食業界に対して常に感じていた”何か違う”という気持ちを、面接の質問として率直にぶつけました。
「社長との面接のときに、飲食業界について不満も含めて正直に話してみたんです。その質問に対して、『これはできている』『まだこれはできていないけど、こうしようと思っている』と会社の状況をごまかすことなく真摯に話してくれたんです。僕が持っていた飲食業界へのわだかまりを受け止めてくれたように感じて、ここなら頑張れると入社を決めました。」
この面接をきっかけにこれまで抱いていたわだかまりが消え、仕事への考え方も大きく変わりました。
「昔は、(何か気に食わないことがあると)会社のせいにばかりしていたのですが、ギフトに入社する面接で社長が僕の言葉を受け止めてくれたことで、自分の中にエンジンがかかったと思います。休みが取れないのであれば、自分がやっている仕事を他の人でもできるように育てる、休みを取る努力をすることが必要だと考えるようになりました。」
他人や環境のせいではなく、自分にできることを全力で取り組むようになり、自ら設定した目標に向かって突き進む毎日。
「入社したときから、店長になることを目標に頑張りました。5ヶ月くらいで副店長になって、7〜8ヶ月後には既存店の店長になり、その後すぐに店長として新店舗の立ち上げに携わることができました。当時、1年に1〜2店舗くらいしか新店舗がオープンしない中で、入社数ヶ月でその役割を任せてもらえたのは社内でも珍しいことだったと思います。」
目標だった店長になることができた三浦さんにとっての次の目標は、当時どの系列店の店長も目指していた2店舗目の立ち上げでした。
「当時は立ち上げを成功させることが成果の1つだったので、2店舗目の立ち上げができるようにお店を任せられるキャスト(スタッフ)を育てることに力を入れていました。技術やオペレーションを教えたり、営業中の姿勢を身につけてもらうためだけに、店舗に出勤することもありましたね。」
料理未経験からひとつひとつ技術や働く姿勢を身につけた三浦さんには、”教えてもできない人”はいないという考えがあります。
「店舗の副店長や社員がキャストへの教育に行き詰まったときに、『そのキャストはできないんじゃなくて、教えてないだけじゃない?』というコミュニケーションを取ることを徹底していました。僕がジョブホッパーをしていた頃は、ラーメン業界は飲食店の中でも見られ方が良くなくて。そこで働いているのも、やる気のないスタッフや素行が悪いスタッフが多かったように感じていました。でも、ラーメン業界には可能性があるんじゃないかと思っていたので、その可能性に対してやれることをやり切らないと納得できないという気持ちから、キャストを一人一人育てることを妥協せずに取り組んだという自負があります。」
キャストを熱心に育て、2店舗目の立ち上げも可能性が見えてきた頃、三浦さんのキャリアに変化が訪れます。
「2店舗の立ち上げにいけそうというタイミングで、専務と今後について話すことがありました。新店舗立ち上げがしたいとは伝えつつも、育成に力を入れているのを専務が見てくれていたようで、その会話の中で『いい人が入って活躍してくれると嬉しいですね』と話したことで採用を手伝うことになりました。」
採用担当と兼任で、家系ラーメンを提供する「町田商店」を中心とした17店舗をまとめるブロック長を任せられ、活躍できる人が増えれば会社がもっとよくなるという思いから、とにかく何でも頑張ったのだそう。
ブロック長と採用担当を務める中で店舗に立つことはなくなりましたが、自分が作った料理を提供しなくても、三浦さんのやりがいは変わりません。
「僕が直接喜ばせていなくても、僕が教育した人がそれを体現してお客さんを喜ばせていれば、直接的には見れなくても、もっと多くの方を喜ばせることができます。それがブロック長の仕事のやりがいになっていると思います。」
そのころにトポセシアと関わるようになり、採用活動の中で、20代を振り返りながら学生と一緒に学ぶことも多かったのだそう。
「僕は人生の中で、元々持っていたような能力を活かしてやってきたタイプではないんです。その役割を任せてもらって、そこに見合うだけのものを学んだり、経験したりと積み重ねることで生きてきたのが僕の人生だと思います。今の自分ができていないからだめということではなくて、少なからず追いついていく努力をやめてはだめだと、新卒の子に伝える事があります。分からないことがあれば教えるし、でも教えただけでもまだ足りなくて、そこに経験を積み上げないと血にも肉にもならないよと。」
誰も登ったことのない山に。豚山を100店舗展開したい。
「町田商店」のブロック長を経て、現在は二郎系ラーメンを提供する「豚山」の営業部長を勤めている三浦さん。
「ブロック長をやっていたときに、家系の店舗と豚山の数店舗に携わっていました。そのときに、豚山の可能性を強く感じて、新店舗ができるたびに僕にやらせて欲しいと手を挙げました。僕自身が豚山を好きというのもあるのですが、(二郎系である)豚山のラーメンは破壊力が大きな魅力なんです。」
インパクト抜群の味と見た目が特徴で、ラーメン好きにとっても人気の高い二郎系ラーメンですが、その製法から店舗による味のばらつきが課題となり、多店舗の出店が難しいスタイルであると言われているのだそうです。
「豚山は、チャーシューもスープも店舗で作ってるのですが、店舗ごとに味が変わってしまい、新店舗出店をやめる話が出たことがあったんです。そのときは、とにかく何でもやりました。スープの味を数値で管理したり、でもそれは数値であって味じゃないので、(味の表現を守るために)店舗ごとに作り方を設定したりと何ヶ月もチャレンジして、ようやく改善することができました。今でも、どこに出張していても各店舗にあるスープの数値や動画を送ってもらって全てチェックをしています。」
味の標準化と、その味を磨き続けることの高いハードルがあるからこそ豚山を展開することにやりがいを感じています。
「現場ごとにアナログな工程が多い豚山だからこそ、チャンスがあるんだと思っています。店舗ごとにアナログな管理が必要となるラーメンのスタイルでは、高い味の水準と多店舗出店を両立できている会社はまだありません。例えば、個人のオーナーさんによるお店は、アナログな管理に時間を注いで、一生懸命取り組んでいるから美味いラーメンが作れるんです。でも、そのスタイルで100店舗展開できた会社はまだないので、そのハードルにやりがいや楽しさを感じています。豚山の味を全国に届けることができれば、日本が盛り上がるんじゃないかと思っています。」
三浦さんが20代のときに学んだ、美味しい料理を提供してお客さんを喜ばせること、それを実現し続けるためには経営のスキルが必要であることの2つは今の仕事にも活かされています。
「自分のやりたいことは持っていますが、頑なに自分のことをゴリ押しするのではなく、ギフトに必要なことがあれば何でもやりたいと思っています。どんな時でもお客さんや仲間が大事であることは変わらないので、あまり自分のことばかりにこだわりすぎても、行く先を見失いそうな気がするんです。だから、何でもやることができれば、(行く先は)大丈夫だと思っています。」
自分が育成に関わった人が活躍するのを見ているのも、三浦さんにとって嬉しいことの一つなのだそう。
ギフトに入社してから、今年で11年目。
“何か違う”という違和感を抱えながら職を転々とした20代とは違い、環境に言い訳することなく、自分のやるべきことを全うし、たくさんのやりがいと喜び、次の目標を見つけている三浦さん。
学校やアルバイト、部活、仕事で、誰もが一度は感じたことがあるだろう”何か違う”という違和感。それでも腐らず目の前のことに向き合い続けることができれば、少しずつ何かが変わってくるのかもしれません。