2023/05/10
50人が語る「わたしの道」ライフキャリアマップ ー田中 貴大さんー
トポセシア10周年を記念してスタートした本企画は、これまでトポセシアに関わってくださった方の中から50人にインタビュー。
これまでのキャリアの中でどのような道を歩んできたのか、そして、これからどんな道を歩んでいくのか、記事として綴っていきます。
何かに迷った時、もう一歩踏み出したい時、また違う誰かの力になるはずです。
27歳、職業・旅する立ち飲み屋。
今回取材した田中貴大さんの肩書きは、あまり耳馴染みのないものでした。
これまで旅する立ち飲み屋として17都道府県を回ってきた田中さん。
なぜ旅をしながら立ち飲み屋をしているのか、紆余曲折あったこれまでの人生についてお伺いしました。
「おもしろそう」が挑戦の理由だった
「留学先で出会ったキラキラした大学生を見て、旅も大学も『おもしろそう』って思って。」
田中さんが人生で何かを決めるとき、必ず出てくるのが『おもしろそう』という言葉でした。
鳥取県で生まれ育ち、鳥取県内の高等専門学校に在学していた田中さん。
旅にハマったのも、高専に通っていた時期だったそうです。
「旅をする最初のきっかけは、英語が得意になってみたいって気持ちでした。工学系の学校だったので、僕も含めて周りに英語が得意な人は比較的少なくて。みんなと違うことをしてみたかったんです。」
『みんなと違うことをしたい』と思うようになったきっかけは、小中学生の時の人間関係から。周囲に比べて弱い立場にいることが多く、それがご自身に対する自信のなさにも繋がっていったそうです。
そこから「自分を変えたい」という気持ちが強くなり、高校は地元を離れて、周りの人が行かない高等専門学校を選びました。
「高専では、100点とは言えないまでも人間関係が改善されたんですよ。その経験から、『新しい環境』への興味が強くなったと同時に、『自分って結構どこでも生きていけるのかも』と思うようになっていたんです。
英語を始めた理由も、人にはない強みを持って自信をつけたかったのもひとつなんですが、学外の英会話教室に通うことで、高専という狭いコミュニティの外に出てみたい気持ちもありました。」
英会話教室に通う内、他の生徒たちが留学に行くのを見て、次第に「自分も行くんだろうな」という感覚になっていった田中さん。
留学先で選んだマレーシアで、本格的に旅好きになるきっかけに出会います。
「留学中にルームメイトになったのが旅好きの大学生でした。地元鳥取は大学が少なく、大学生と関わる機会がなかったんですよ。だからその時、初めてキラキラしている『大学生』を見て、憧れを持ちました。」
楽しそうにこれまでの旅路や学生生活を話すルームメイトを見て、自分もいろんな場所に旅するようになった、と話します。
進路についても、ルームメイトだった大学生に刺激を受け、大学編入を決意。琉球大学の試験を受験しました。
合格後、鳥取にいる内にトポセシアで働いているスタッフとSNSで繋がり、沖縄移住前にはアルバイトに興味を持ったそうです。
「マレーシア留学や、その後の海外旅行などの経験から、当時が一番勢いに乗っていたんですよ。『人生ってこんなに楽しいの!?』って感覚で。だから、大学生活もその勢いのまま楽しみたかった。そのためには、友達だったり周囲の関係が肝心だと気づいていたので、その環境づくりをしたかったんですよね。
とはいえ鳥取に住んでいたので情報源はネットだけでした。だからSNSで課外活動をたくさんやっている大学生を探していたら、みんなトポセシアに集まっている感じだったんですよね。」
編入当初に思っていた通り、トポセシアを通して様々な人・経験と出会えたと振り返ります。
「一緒に頑張った仲間のことも心に残っていますし、心が折れそうな時に寺地さんに話を聞いてもらったことも思い出深いですが、特に印象強かった人でいうと、平良美奈子さんですかね。彼女も留学経験者で、留学を経験した学生が、就活でもその経験を強みとしていけるように支援する学生団体を立ち上げ、代表をされていました。当時僕は、トポセシアでイベントリーダーをやっていて、各イベントごとに目標の数字をかかげていたんですよね。ただ、それが全然うまく到達できないタイミングもたくさんあったし、周りのメンバーを上手にまとめられていないと感じることもありました。
だから高いカリスマ性でメンバーをまとめ上げている平良さんに、自分にないものを感じて憧れましたし、彼女がたまに開いていた勉強会にはなるべく参加して、自分にない考え方を身につけようとしていました。」
「次の世代のきっかけになりたい」
高専時代から現在に至るまで、行動力を発揮し挑戦を繰り返す田中さんですが、何をするにも「「自分がワクワクすることか」「次世代のきっかけになっているか」を方針に掲げているそうです。
その方針ができたのは高専卒業を控えた3月の、一人旅プログラムの引率経験でした。
「一人旅が不安な人が集まって、引率の人と一緒に一週間旅してみるっていうプログラムがあったんですよ。僕も一度参加者として利用して、一人旅ができるきっかけになって。
旅をする中でそれまで『自分に自信がない状態』から『ありのままの自分でもいいと思える状態』になっていったんです。
さっきちょっと話したように、自分に全然自信がなかったんですよ。小中学生時代は人間関係にすごく悩んでいたり、高専に入ってからも周囲は男子ばっかりで女の子と話すことに苦手意識が強かったり、野球部に所属していたのでボウズだしニキビができやすいとかっていう外見のことだったり、自分のいろんな部分が嫌でした。でも旅をしていると、そういう価値観自体が当たり前じゃないことにも気づくし、特に途上国ではその日1日生きるのに精一杯な人を目の当たりにする機会もあって、自分の悩みがちっぽけに思えるんですよね。
そういった経験とか、視点の変化から『今の自分』に少しずつ自信が持てるようになって、人生が変わっていくように感じたんです。だから、その経験のきっかけになった一人旅プログラムの引率側になろうと決意しました」
人生が変わったと感じた利用者の立場での一週間より、初めて引率をした一週間の方が、より濃かったと振り返る田中さん。
「僕の中で手応えもありましたし、参加者側からの満足度もめちゃくちゃ高かったんですよ。何より、自分が引率したメンバーの中から、次回引率者になりたいと言ってくれるメンバーがいたことが嬉しかったです。引率者はそのサービスを利用した人の中から立候補する制度になっていて、各チーム10人の参加者の中から1~2名立候補してくれたらいい方だった中で、初回で引率したチームから4人もやりたいって言ってくれたんです。それだけ心を動せた人がいたことは、今思ってもすごくよかったんですよね。逆に、もし自分が引率していなかったら、引率側になろうとは思わなかった人も中にはいるかもしれないとも感じていたんです。
自分がそのプログラムを通して『旅をする』っていう一歩を踏み出すことができたから自信を持てたように、誰かにとって自分が背中を押してくれる存在になれたらいいなって思うようになっていきました」
『次の世代のきっかけになること』は、その後の飲食店修行や旅する立ち飲み屋への原動力にも繋がっているそうです。
「旅にしても飲食にしても、自分が好きなこととか一生懸命やっていることを通して、相手が新しい一歩を踏み出すきっかけや成長を提供していきたいです。相手の背中を押しているようで自分がきっかけを与えてもらっていることもあるから、それもやりがいで。これまでやってきたことに飲食や観光関係が多いのも、この業界ほど人と近い距離で関わって、お互いの人柄を感じながら刺激を与え合える仕事ってなかなかないと思っているからなんですよね。」
気持ちと現実の勢いの不一致が苦しかった
大学編入から1年ほどたったタイミングで、世界一周のためにしばらく休学した田中さん。復学後に待っていたのは、ある飲食店との出会いでした。
「その飲食店は『夢を語れる』事がコンセプトのお店で。自分も旅を通じてやりたいことを口に出すことの大切さをとても感じていたのですぐに共感して『アルバイトとして仲間にいれてください』と夢を語り、復学してすぐに働きはじめました。
夢を語れる職場はとても楽しく、語った夢を夢で終わらせず、自分もお客さんも語ったことを行動に移していくのが楽しくてどんどんのめり込んでいきました。
その飲食店では、新しい店舗を自分で出店したい経営者を育てるために修行生を募集してたんです。1年間お店で修行を積んだ後に自分で実際に3年間好きな都道府県で出店して経営者を育てるというプログラムでした。
『この素敵な職場を自分の地元にも作りたい!』という想いがわきでてきて、後に修行をすることを決意しました。」
そのために、大学も中退したと話します。
「両親は、世界一周の時点で『この子はやるって決めたら止めても聞かない』って思われていたみたいで、あまり反対はされませんでした。ただ、自分の中では『親にお金払ってもらったのに』って葛藤を抱えていました。卒業してから挑戦するって道もあると思うんですけど、それだとやりたい気持ちの勢いがなくなってしまうかもしれないって感じて。それに最悪飲食店の立ち上げに失敗した後でも、大学には戻ってこれると考えて、中退を決意しました。」
ご自身の中の葛藤に決着をつけるのに、3ヶ月かかったと話す田中さん。
ところが、その後思うように自分の店舗を持つまでには至らなかったそうです。
「自分の気持ちの勢いと、創業の進捗のスピードの不一致が苦しかったです。例えば物件がある複合施設で決まりかけたんですが、一足先にオープンした施設内のラーメン屋がNGを出して白紙に戻ったり。それに、そもそも物件や大きなお金を借りることにも抵抗感がありました。これまで各地を転々としていたのに、数年間は地元鳥取に住み続けなきゃいけなくなる。その覚悟をするのも苦しく感じていた中で、コロナが蔓延し始めて。」
正直この時期が一番苦しかった、と苦笑する田中さん。
リフレッシュのため、飲食店のオープンから一旦手を引いて、例年仲間が集まる和歌山県のみかん農園のお手伝いに行きました。
「和歌山で『旅する立ち飲み屋』と出会いました。すごくいいアイデアだなと思った反面、これまでいろんな人に『この飲食店で店舗を出す』って言っていたのに別の形になってしまうのってどうなんだろうってモヤモヤもあって。当時、周囲から『一度社会経験を積んでみたら?』と言われることが多かったこともあって、1年という区切りをつけていわゆる『会社員』になることに決めました。」
この会社員期間が次の挑戦のための充電期間になっていたと振り返ります。
「会社員っていう型にハマった働き方を初めてしたことで、そこでしか見れない景色が見れたと思います。その上で『これをずっと続けていたら、僕はこんな大人になるんだろうな』って想像もなんとなくできて。どんな働き方も素敵だと思うんですが、僕としては自分で仕事をつくる側の方が楽しいなと感じました。だから改めてもう一度、チャレンジしてみようと思ったんです。」
与えているつもりで、自分のきっかけになる。
その後、1年で会社を辞め、旅する立ち飲み屋を始められました。
旅する立ち飲み屋をしたいと思った理由は「旅しながら人との出会いの中でこの先自分が住みたいと思える場所を見つけて、その場所で飲食にこだわらず何かやりたいと思った事で開業するため」だそうです。
「飲食店として店舗を出そうと思った時に、僕にとって『この場所にしばらく住み続けなきゃいけない』っていうのがネックになると感じたので、『ここなら開業してもいい』と思える場所を、自分が好きな旅をしながら探していきたいなと思って。」
そうして出会ったのは東京を出発して西周りで日本一周していた旅路で17県目に訪れた「沖縄県」でした。
元々、沖縄は移住先の第1候補でしたが、その当時は宮古島等の離島に興味があったそうです。
そんな中出会ったのが沖縄本島の北部に位置する『名護市』だったそう。
「大学時代は正直『沖縄を出たい』って気持ちが強かったんです。だから鳥取で開業を検討していたんですよ。でもその後考え直した時に、沖縄の好きなところが結構あったなって思って。例えば、国内でも一年中半袖短パンで入れるところとか、初対面の人とすぐに仲良くなれるところとか、旅を通して出会った人たちが沖縄に旅行に来てくれたら気軽に会えるところとか。」
そんなことを感じていた時に名護のコミュニティスペース・ココノバを知りました。
「ココノバは僕のいた頃のトポセシアみたいなんですよ。当時トポでアルバイトをしていた先輩とかもイベントに顔を出してくれたりして。そういう人が集まる場所だから、初対面の人でも考え方が似ていたりして、すごくワクワクするんです。
それに、ココノバのコンセプトが”『やってみたい』が生まれる場”なので、何かの形で次世代の背中を押したいと思っていた自分にぴったりじゃないかと思って。それで名護を拠点にしようと決めました。」
「もう住民票も移しちゃったんですよ」とにこやかな表情で話す。
そんな田中さんの理想像は『いいパパになること』。
「いいパパになるためには、いろいろ条件があるじゃないですか。例えば住む場所がある程度決まっているとか、経済力とか人間性とか。その中で一旦住む場所は名護かな?と決めていったり。今は少しずつ足りないものを補っているような状態です。」
自信のない自分を変えてくれたきっかけを、他の人にも与えたい。その想いを胸に前に進んできた田中さん。
これからも誰かの挑戦のきっかけを作りながら、ご自身の成長ポイントをみつけ、新しいフェーズに進んでいかれることでしょう。